何の為に
2011-08-29
何の為に
これは何の為の仕事か。
これは私にとって、何であるか。
これを突き詰めていった先に、企業理念があり、
会社の存在意味があります。
みつわは、企業理念の中にあったように、
お客様にありがとうを提供する為の会社です。
そのために必要な事はすべて取り組みます。
自分自身が考えていた、お葬式に対する疑問。
常識から外れているであろう提案。
見えづらい料金体系。
不行き届きなサービス。
自分のものさしから出発していますが、
自分が欲しいと思えるサービスをエゴから出発して見直す事。
そして多くの人にありがとうと感謝をしてもらえる会社を
創る事。
これが企業理念です。
何の為に。
非常にシンプルな言葉ですが、さまざまな行動の源泉となります。
今日は民主党の代表選挙がおこなわれていました。
これは何の為の代表選挙なのだろう。
何の為のリーダー選びなのだろう。
参加者は民主党所属の議員と、民主党員による選挙でした。
政権与党の代表者選びは、つまり首相選択ということになります。
本当であれば、私も票を投じたい。
そう考えたのは私一人ではなかったと思います。
間接民主制のすばらしさもあると思いますが、
自分の一票の重みを十分に理解する上でも、
直接民主制にならないものかと考えています。
選ばれた代表者について個人的な見解は書くつもりはありません。
翻って、何の為の政治なのでしょうか。
きっと政治は、日本で暮らす人たちの為のもの。
なのにどうしてここまで感覚がずれていると感じてしまうのでしょうか。
それは政治家、個々人による問題ではないのかもしれません。
政治の仕組みが大きく変わらなければ、一般国民の意思と合致していると
感じる事はできないのかもしれません。
国の為、国民の為に活動する政治家は少なくありません。
しかしながら、全体としての行動に目を向けたときに、
何の為に。と感じてしまうことが多々あります。
仕組み作りから見直す事が、現在においては
最も必要なのではと、強く感じています。
理念の力
2011-07-07
理念の力
私たちの会社には、シンプルな理念があります。
理念の持つ力について、
開業当初は疑問を持っていました。
会社の神棚の隣に、でかでかと「お客様は神様です」のような
言葉が掲げられているときに、
いったいあれは何なんだろう。と感じていました。
その言葉を掲げる事で、本当に社員の中に理解が深まるのか、
もしかしたら、社長の気持ちの上で必要なだけで、
だれもそれを実践する気なんて無いんだろう。
そんなことを考えていました。
しかしながら、会社として発足し、5年が経とうとしている現在において、
理念の重要性を強く感じるようになりました。
社員としても、創業から一緒に働いているスタッフ。
あとから合流したスタッフといるなかで、
共通の認識を持たなければならない場面が多々出てきます。
たとえば、現場で起きている問題に直面したときに、
どんな行動基準に照らして、行動する事が会社としての正解であるか、
全ての社員において、共通しても持つべき「ものさし」が必要である事を痛感します。
石碑に刻むような形で残す理念は必要在りませんが、
毎日参照し、手垢が付いた紙に書かれている理念こそ必要だと感じました。
あとはこの想いを社員といかにして共有するかが課題だと思いますが、
少なくとも私の情熱は社員に届いていると思います。
自らの行動で示しながら、活きた理念を共有していきたいと感じています。
優先順位の壁
2011-07-05
優先順位の壁
仕事をしていると、
やるべきこと と やらなければいけないこと が
無数に降りかかってきます。
毎日、やるべきことについて気づきがあり、
本当はこれもやりたい。
あれもやりたいと。
いろいろな思いに頭が占有されます。
しかしながら、時間は有限で、
本当はやりたいことも、
限られた中では、できること、手を付けられる事には限りがあります。
そうした中にあって、優先順位をつけることになるわけですが、
これがなかなか難しい問題となります。
中小零細なので、出来る事は大手に比べて少なくなります。
少ないとはいえ、やりたい事は無限に出てきます。
そうしたなかで、まずは方向性を決めなければ成りません。
方向性 → 優先順位 となります。
どこを向いて仕事をしているかで、自ずから優先順位も変わるからです。
方向性を決めたり、ビジョンを定める事が代表者の仕事になります。
責任はもちろん、自分にあります。
全部やりたい。
本当は全部やりたいんです。
でもできない。
だから、少しずつ変革していってます。
一寸法師のような小さな組織で、小さな会社なので、
変化は小さいものです。
ですが、大きな岩を動かす事が出来るよう、
効果的に頑張りたいと思っています。
多くの人が困っている事を解決できる会社でありたい。
そう思っています。
だから、無い頭で一生懸命に汗をかいて考えています。
沢山の方から応援してもらえるよう、一生懸命がんばりたいと思います。
見守ってやってください。宜しくお願いします。
「★長野県大会報告」青年部主張発表大会
2011-05-11
「長野県大会報告」青年部主張発表大会
2011年5月11日に長野市のメトロポリタン長野において、
長野県商工会青年部 主張発表大会 長野県大会が行われました。
東信大会の代表として、県大会に臨みました。
先に結果を報告しますと、最優秀賞を獲得し、優勝することができました。
この会は、長野県商工会青年部総会もかねており、リーダー研修会として、
主張発表のほかにも、武田徹先生の講演会や、中村文昭先生の講演会なども
行われました。
私自身、商工会青年部のこうした総会に参加する機会は少なく、
同じ青年部の仲間と、講演を通した学びの場を得る機会に恵まれたことを
大変有難く感じました。
主張発表大会の中で、地域食材を使った創作フレンチを提供することで、
地域内の経済が循環することを目指した活動について話しました。
今では、理想として目指してきた方向性に近づき、
現在までには新聞やラジオ、雑誌などにも紹介され、
多くの依頼をいただけるまでに成長しました。
葬儀場でフランス料理で循環型経済とか言いますと、
色物で、変化球のように映るかもしれないですが、
肝心なことは継続的であることと、近江商人の3方よしがごとく、
仕入先(農家)も、売り手(みつわ)も、買い手(消費者)も、
得をする仕組みを作ることが重要だと思っています。
花火のような祭りの重要性も理解しているつもりですが、
継続事業であることが地元経済に与える影響はより大きいと感じています。
私たち自身も地元で生産される農畜産物を日常的に口にして、
自分の体験を通して、その良さを理解しているつもりです。
言葉だけで地産地消を語ることに意味はなく、
地産地消だから、生産地に近くてより鮮度も高く、よりよい状態で提供できる、
だから 「おいしい」。
と言ってもらえるものが提供できることが素敵な訳です。
そのうえで、互いに無理なく利益を継続的に上げていける仕組みを作ることが
より良い地域経済を生み出すと信じていますし、
それこそが私たち若手経営者の仕事なんじゃないかと思っています。
そして、すぐに外貨獲得に名産品を開発したがりますが、
まず第一に、地元の人ですら利用しないものは、
外から来た人が利用するはずがないと思います。
足下の需要を満たすことから始めて、それが結果的に多くの人から支援される。
そういう形が自然なのだと思います。
今回、長野県の大会の代表として選んでいただくことが出来ました。
今度9月に行われる関東大会@茨城県つくば市でも、
同じ青年部の仲間と体験を共有したいと思っています。
まとまりませんが、以上です。
もっと書きたいことや、講演についての学びなどにも触れたいところですが、
またの機会にします。
「★東信大会報告」青年部主張発表大会
2011-04-27
「長野県東信大会報告」青年部主張発表大会
2011年4月26日 長野県軽井沢町にあります、万平ホテルにおいて
長野県商工会青年部 主張発表大会 東信大会が開かれました。
私は地元の小海町の代表として参加しました。
上小地区(上田市~小諸市)、佐久地区(佐久市~川上村)の代表者6名が
持ち時間それぞれ10分間という中で、各々に行ってきた商工会青年部活動について
主張発表を行うという大会です。
主張テーマは下記の2つから任意に選択します。
1、「青年部活動に参加して」
2、「青年部活動と地域振興、まちづくり」
私は2を選択し、サブテーマを
「循環型地域経済を目指した挑戦」として、
主張発表を行いました。
内容についてはここでは詳しく触れませんが、
結果として、優秀賞を獲得し、優勝しました。
東信(長野県の東側)の代表として、長野県大会に出場する運びとなりましたので、
また、長野県大会の際に内容等については追って記したいと思います。
緊張の中ではありましたが、評価していただけたことをうれしく思っています。
ほかの出場者も含め、地域の代表として選出いただけたので、
全力で次にも臨みたいと思っています。
権限委譲と現場力
2011-04-12
権限委譲と現場力
今回の震災に当たり、リーダーの指導力について
疑問を投げかけられる場面が多々見られています。
リーダーの資質はさまざま存在すると思います。
過去の歴史を見ても、さまざまなタイプのリーダーがいたと思います。
自ら先頭に立ち、指揮を執り前進していくタイプ。
高所にて戦況を把握し、的確に指示を送り、状況に応じた戦略を練るタイプ。
戦や争い事になる前に、策を練り、戦にならない方策を外交により確立するタイプ。
英雄と言われるリーダーにもさまざまなタイプがあると思います。
私はその中でも、共通する項目として、適切な権限委譲というものがあると
感じています。
なぜなら、戦という極限状態。災害という極限状態において、
いちいち、指揮官の許可を取りに行かなければ
前にも後ろにも進めない状況では、刻一刻と変わる戦況において、
人間のひらめきや、最適な機会を失うのではという懸念があるからです。
今回の災害においては、もっとも最前線にいる被災者に対して、
自衛隊、行政職員、ボランティアなどが率先して活動する中で、
国政、縦割り行政に属する団体や、意志決定の遅い大企業などの遅い行動が
批判を浴びています。
特殊な状況、抜き差しならない状況においてリーダーが求められるものは、
適切な権限委譲と、現場力に任せるという判断が必要だと思います。
原子力発電所の問題においても、
総理大臣や官房長官、政治家の方々。
そして東京電力の代表者や、経済産業省下の保安院。
内閣府の原子力委員会、原子力安全委員会。
情報の受け取り側にとっては、どこの情報を参照すべきなのか、
数値などについても、どう理解すべきなのか困惑します。
権限あるポジションにいる人であっても、
指揮を執る人が必ずしも専門家でないことが多いと思います。
そうした中で、リーダーがおこなうことは、責任を負うことと、
部下や監督先を信頼し、権限を渡す。
現場を信じることであると思います。
現場では常に新しい状況に応じた判断が求められます。
そうした中にあって、監督官庁の指示を
いちいち待たなければならない状況というのは、
致命的に危機管理の面で問題があると思います。
今必要なものは迅速な判断と、行動のための責任の所在を明らかにすること。
復興にはお金が掛かります。
政府の後ろ盾が必要な人たちには一刻も早く伝えてもらいたい。
それは空から降ってくる雨を望む、乾期の農民の気持ちではなく、
誰の責任でもない、大震災による津波などによって、
失われた人命と、復興のための活動を心からしたいと思っている人たちへの
支援の意味で大いに必要であると思っています。
性悪説のポジションを取ってしまうと、何をするに当たっても
時間が掛かり、制約のかかる、まさに事件は会議室でおこっているんじゃない。
という状況に陥るものであると思います。
今、求められているのは、性善説に基づいた支援金などの後ろ盾と
リーダーによる大幅な権限委譲であると思っています。
今回の震災で見事なほどに平らになってしまった場所の復興については、
グランドデザインを元にした国策による指導が必要であると思いますが、
少なくとも瓦礫の山を撤去し、最低限のライフラインである電気・水道、ガス。
暫定レベルの道の整備など、後から敷設し直すこともあり得ますが、
まず必要なものを調えるということは、そういうことだと思います。
そのための行動をまさに自腹でおこなっている現場の方々に、
支援することができるのは、国であり、行政でしかないと思います。
私自身も何かしたいと心から思い、行動しています。
私の現在の役割は、地域の人材を雇用し、給与を払うこと。
地域に税金を納めること。
地域の経済活動に貢献することだと思っています。
もちろん個人的な募金も小海町にある東日本大震災向けにしていますが、
募金を集めることはしていません。
適切に現場に届けるノウハウが不足しているからです。
私に与えられている使命をまっとうしたいと思います。
自助努力の重要性
2011-04-01
自助努力の重要性
私は今、日本の歴史上もっとも恵まれた時代に生きていると感じています。
日本という国において、今は、
生まれた場所や、性別、身分などによる制限が
もっとも少ない時代だと思います。
どれだけの努力をしても、いくらがんばっても楽にならない時代。
そんな環境や立ちはばかる壁が存在する時代が
長きに渡って続いてきたと思います。
理想を求めればきりがありませんが、
少なくとも100年、200年前と比べるならば、
確実にいい時代になったのではと思います。
逆に良い時代に生まれたが故に、
空を見ては口を開けてしまう瞬間が増えたのではと感じています。
具体的には、町村行政や、国に対しての期待値が
高くなりすぎているのではと
感じています。
特に商工会の団体に所属していて感じることとして、
どこかからの支援を待ち続け、
支援が届かないことに不平を口にするような状況があります。
このたびの震災のような、災害に見舞われてしまったときであれば、
民間の力だけで復興することは極めて難しいものであると思いますが、
地域の商店街がシャッター通りになってしまうことは、
災害とは違い、基本的に、自助努力によって
立ち直っていかなければならないものであると感じています。
行政の優れた施策であったり、指導によって生まれ変わる商店街があると
ニュースで目にしたことがあります。
しかしながら、それは行政の力だけで為し得たことではなく、
各自の自助努力が伴った結果であると私は受け止めました。
物欲に乏しい時代になったことは、
数十年前から比べ明らかであると思いますが、
そんな中でも売れ続ける、愛用され続ける、支援され続ける、
サービスや商品が存在します。
それは、黙っていても売れている、
黙っていても愛用されているのではなく、
常に改良を重ねている結果であると思います。
すべての出発点は、現状よりも良くしようという
自助努力の心であると思います。
現状に嘆き、誰かの助けを待つよりも先に、
自分にできること、貢献できることを探し、
自助努力を続けていきたいと感じました。
上を向いて歩こう
2011-03-29
上を向いて歩こう
坂本 九 さんの歌で
「上を向いて歩こう」
という歌があります。
この歌詞に表れる日本人の奥深さに改めて心を動かされました。
涙がこぼれないように、上を向いて歩く。
これは、日本人の美意識とも取れる
感情の動きだと感じました。
悲しくて、悲しくて、
とても受け止めることができないことが、
自分の身に降りかかったときに、
体を引き裂かれるような悲しみに、
うちひしがれるときに、
事実としては、受け止めていなかったとしても、
涙は流れます。
混乱の中に在って、
事実と向き合うことができなくても、
自然と涙は流れてきます。
涙がこぼれないように、
上を向いて歩こう。
とても前向きな心と、
受け止めるでもないけれども、
前に進むために、
上を向いて歩くという姿勢に心を揺り動かされました。
たくさんの悲しみが生まれてしまいました。
自分の力ではどうにもできない、自然の大きな力の前で、
無力感と悲しみに襲われてしまう人たちが、
数十万人、数百万人、数千万人と
いるのではないでしょうか。
それでも前を向いて歩いていかなければならないから、
上を向いて歩きたいと感じました。
自分にできることを続けていきたいと思います。
Pray for Japan
2011-03-16
Pray for Japan
東北地方沿岸の太平洋沖で大きな地震が3月11日にありました。
長野県に住む私たちのところも若干ですが揺れを感じました。
午後2時過ぎの当日は、ちょうど講演会が行われているさなかで、
余震も含めると、何回かの揺れが会場にありました。
体感からすると、もっと近くで揺れているものと思っていましたが、
まさか東北の地震の揺れが長野でも揺れていたと知ったときには
大変に驚きました。きっと東北では大変なことになっているのだろうと感じました。
時間が経ち、被害の状況を知るにつれ、
震災に遭われた方々の絶望感を知ることになりました。
テレビでは連日、災害の状況や行方不明者の情報を流していましたが、
情報を知る意味では必要なことであると思いつつも、
悲しい情報を毎日何時間も耳にすることが辛くも感じるようになりました。
そうした中で、Twitterから流れてくる情報には
だんだんと変化がみられるようになっていきました。
世界の国々からの支援や、追悼のメッセージ、
米軍支援部隊のOperation "Tomodachi"、
国連からの日本に対する支援表明など、励まされるニュースが流れ始めました。
停電の中で、自分たちで譲り合って交差点を横断する車、
地震の中で倒れた商品をお客さんが戻し、レジで会計をしていくお客さんの話、
中学生が高齢者に向けた言葉で、未来は僕らの手で立て直すからといった、
メッセージなど、流れていくタイムラインを見ながら、涙しました。
とても不思議な感情ですが、日本人としてのマナーや節度ある行動、
これまでの日本の国際支援に対する各国の感謝の言葉と、支援活動など、
どれも胸を熱くさせるものでした。
悲しくなるようなニュースが流れ続ける中で、
心から復興のための行動をしようと、後押しをしてもらったような気がしました。
日本のための祈りを表明する海外の方々の言葉や、
メッセージを受けるに当たって、
そこで暮らす自分たちとしても前向きに現実と向き合わなければと
感じさせてもらいました。
力をもらいました。
ここから先は自助努力で、自分たちの生活はもちろん、
被災した方々の支援をしていきます。
まずは自分にできることから始めたいと思います。
立ち振る舞いに表れる姿勢
2011-03-07
立ち振る舞いに表れる姿勢
意識の持つ力を認識することがあります。
立ち振る舞いにはその人の生き方が表されることがあると思っています。
心の底から自信に溢れ、活気に満ちた生活をおくる人は、
自ずと姿勢が正され、表情には自信を、そして声には力が溢れることがあります。
その立ち振る舞いは空気を伝って、
周囲に見えない何かの力で影響を与えます。
内側から溢れ出るモノは、プラスに作用するモノもあれば、
逆にマイナスに作用することもあると思います。
力なくうちひしがれている時には、顔が下に向くことで、背中が丸まり、
声は小さく、歩く背中ももの悲しく映ることがあります。
その違いは内面から流れてくる感情によるものだと思いますが、
自ずからそれらの力をコントロールすべく、
立ち振る舞いに意識を向けることで、
身体から気持ちを明るく強くすることができるのではと、
考えるようになりました。
意識の力は絶大で、
その自信を称えた声と表情、そして歩く姿が、
自分自身に与える影響を実感させてくれます。
昔、祖母から「背中が丸まってるよ。背筋を伸ばしなさい。」
「そうすると気持ちも明るくなるよ。」
なんて、言われたことを思い出しました。
素直になかなか聞き入れることができなかったことですが、
実感を持って、その大切さを学びました。
祖父母や両親が、幼い頃に話してくれたことで、
きっかけを元にして思い出される言葉があります。
それらは、どれも愛情に満ちている言葉であると、
今更ながら、感謝の気持ちでいっぱいになります。
年を取る毎に素直になるような人になりたい。
素直な心から感謝できる人になりたい。
それだけは忘れないで行動したいと感じました。
特別に「おくる」ということ
2011-02-28
特別に「おくる」ということ
私達は「おくる」ことを仕事にしています。
一般にお葬儀屋さんは、お葬式をすることが仕事ですが、
私達は「おくる」ことに、仕事の主眼としておくようにしています。
「お葬式」に重点をおくことは確かですが、
もっとも大切なことは家族が納得しておくりだすことができるかどうか、
であると思っています。
ともすれば、お葬式は誰のためのモノであるのか、
分からなくなるようなこともあります。
来客される方のおもてなしについて考えることも
大変に重要であると思いますが、
やはり家族の気持ちをもっとも大切に考える必要があると思います。
その中で、「特別に」おくるにはどうしたらいいのか。
常にそのことで頭を悩ませています。
その方だけの、特別な、1点モノの、オリジナルなおくりかたが、
あると私は信じています。
特別におくるために、
できることはすべてやりたい。情熱を持って、お手伝いしたい。
そして、その思いを強く持って継続していきたいと思っています。
まだまだ未熟であり、継続することの難しさを痛感していますが、
おくることの軸をぶらさずに、継続することは原則だと考えています。
これからも精進していきたいと思います。
気を集める生き方
2011-02-22
気を集める生き方
私は2年ほど前から、肩こりが酷くなると
針治療に通うようになりました。
針治療は、字のごとく針を身体に打つ治療法ですが、
正直私にとっては最初は恐怖であり、
通うことがおっくうになるようなものでありましたが、
確かな効果があったために、現在まで通っています。
身体の具合が悪く感じる時に、
例えば、頭痛がして良くならない時には、薬を飲んだりしますが、
現在は西洋医学とは別のアプローチ方法をとる、
東洋医学の考え方と病気にならない身体作りに注目しています。
ある人の言葉で、
「具合が悪くなって、医者にかかるのは『下』だ。」と、
「予防接種などで、事前に対処しておくことは『中』だ。」、
「病気にならない身体作りと食生活をおくることが『上』だ」と、
そうした言葉を聞いたことがあります。
病気にならない身体作りとは、
日頃からの食生活や身体の健やかさを作る運動のことを
指しているんだそうですが、
日々の事を継続するほど、難しいモノはないと感じました。
私の健康に対する考えは以上のようなものでしたが、
先日、針治療の中で、先生が言われた
身体に気を取り込む。
という話に心惹かれました。
大地に生かされていることを意識しながら、
大地・大気から瑞々しさや元気をもらう。
そのために山に登ったり、歩いたりする中で、
空気中の気を身体に取り込むんだよ。と
教えていただきました。
具体的にどうするべきなのか、分からなかったので、
素直にどうするべきか、尋ねたところ、
呼吸法を変えてみることを提案していただきました。
まずはできることから始めてみようと思い、
呼吸に気を使いながら、
大地からの気を意識して、身体に取り込めるよう呼吸をしています。
目に見えないモノをどのように解釈し、
どう自分の生活に反映していくのかは
大いに難しいことだと思います。
本物ではないモノがたくさん溢れているのではないかという
前提の中で、目に見えないモノをどのように受け止めるかは
困難なことです。
信じるに値するかどうかを、どのように検証するかが課題です。
しかしながら、自分にとっての解釈と、
何かに流されるよりも、自分自身ペースで体調の推移を見ながら、
さまざまな取組みをおこなうことは
正しいことであると感じています。
判断の物差しをすべて他人に委ねることなく、
自分のペースで利用し、その中で判断していきたいと思いました。
まずは素直に先人から教えていただいた方法で、
試してみたいと思っています。
目に見えない「気」という概念ですが、
確かに存在するような気がしています。
健やかな身体と、健康な精神を保つために、
まずは見よう見まねでスタートしてみたいと思いました。
念ずれば花ひらく
2011-02-14
念ずれば花ひらく (坂村 真民 氏)
以前、友人からある色紙を貰いました。
その色紙には「念ずれば 花ひらく」と筆で書かれており、
坂村真民氏の言葉であることが記されていました。
私はその当時、念じても花はひらかないものであると感じていました。
花を咲かせる何かがあるとすれば、それは自発的な努力と
能動的な行動だけであると信じていました。
現在でもその信念は変わっていませんが、
ただ、念ずれば花ひらくの言葉の意味は、
当時よりもはっきりと理解できるように
なれたように思います。
開業して、早5年目となりますが、
目に見えない何かの力を感じることがあります。
運と呼べばいいのか、何なのか分かりませんが、
自発的な行動だけではないところで、
何かの力が働いて、物事が大きく動くことがあります。
念じてひらく花がどのようなものであるかは、
未だにはっきりとした形で描けているわけではありませんが、
少なくとも想像し、強く思い描いたものは徐々に形になり、
現実に近づきます。
私にとっての坂村真民氏の言葉は、
現在ではそうした意味で捉えています。
未だ満たされていない欲求は何か?
2011-02-09
未だ満たされていない欲求は何か? (P.F.ドラッカー 氏)
創造性を駆り立てる言葉のひとつに、
P.F.ドラッカー氏が「チェンジ・リーダーの条件」の中で述べている
「未だ満たされていない欲求は何か?」という言葉があります。
新しい製品を開発するに当り、真の顧客目線であるためには、
現在までに不満を感じている、不便を感じているものを
顧客の目線に立って、満ち足りた、便利に利用できる
製品に革新していくことが必要です。
しかしながら、そのキーワードを満たす製品を創造することは難しく、
思考の迷路に陥ることが度々あります。
そうした中にあって、シンプルな頭でいることができる言葉として、
「満たされていない欲求は何か?」という言葉が重要さを増します。
したいこと、実現したい形はあれど、
そのための道筋を立てられないことが多々あります。
例えば、おいしいご飯が食べたい。と考えた時にも、
自分が何を必要としているのか、何を食べたいのか分からない時があります。
そのときに、例えばコマーシャルを見て、あぁ、今日はパスタにしようか。
とか、中華もいいなぁ、と欲しいものを実際の形に近づけることがあります。
紙の書類がいっぱいで整理したいなぁ。と感じることがあった時に、
例えばドキュメントスキャナーとOCRが自分の助けになると分かるまでに
時間が掛かったり、知るまでに満たされない欲求が眠っていることがあります。
そうした中で、製品開発をするに当たっては、
誰のためのものであるかを想像した上で、
その人が困っていること、足りないと感じていることを
自分が困っている状況を想定し、助けになるためのアイデアを形に
していくことから始めます。
私にとっての「未だ満たされない欲求は何か?」という言葉は、
創造性の源泉となっています。
「本物は続く、続けると本物になる」
2011-02-01
「本物は続く、続けると本物になる」 (東井義雄 氏)
本物とは何であるのか。
大いに考えた時期がありました。
私は何をすべきで、何を提供することが使命であるのか。
開業当初、自分が何者であって、地域に何を提供することで
生業とするのかを悩みました。
その頃、出会った言葉で、
「本物は続く、続けると本物になる」という東井義雄 氏の言葉に出会いました。
東井義雄 氏は明治45年生まれの教育者であり、小学校の教員、
そして校長として教鞭を振るった方です。
小学校長の頃に指導記録「培其根」(ばいきこん)という教育手引書を記し、
教育界の至宝としてその名を残す方です。
私は、プロフェッショナルとして、本物を提供することを目指しました。
しかしながら、本物とは何であるかを定義することほど難しいものはありませんでした。
当時の私には、本物を定義することはできませんでしたが、
現在を迎え、手に届くぐらいまでに近づけることができるようになったと思っています。
本物とは継続していった先にある、モノ・サービスなどの提供物を指す。
のだと感じています。
サービスには形にならないものも含めて、非常に多様な価値があると思います。
それは、ブランドや信頼感であったり、印象であったり、
感動であったりと様々な形でサービスを感じとることができます。
モノやサービスに付随して、さまざまな恩恵を感じる瞬間があります。
それらすべてを包括して「本物を感じる」ものであると感じました。
本物にしか感じられないものとしては、その本物を利用したり、
手に取った時に、実感と満足感を得ることができます。
血が通っているものであると、感じることができます。
有形・無形を問わず、本物になるためには続けることが肝要であると
肌で感じ、実感しました。
続けた先にしか分からないことがあると知りました。
本物を提供できるプロフェッショナルであるよう、
今後も努めていきたいと思っています。
「若い時に流さなかった汗は、年老いてから涙になる」
2011-01-24
「若い時に流さなかった汗は、年老いてから涙になる」
この言葉は、野口みずき選手や髙橋尚子選手などオリンピック選手の活躍を
陰で支えた靴職人の方、「三村 仁司」(みむら ひとし)さん
(アシックス・グランドマイスター)の言葉です。
含蓄の深い言葉であると思います。
努力をしたり、勤勉であったり、忍耐をすることが
若い世代に格好悪く映る時代であると感じています。
若い世代への伝え方を間違えると、
本来伝えたかった意味の半分さえ伝えることが難しい、
大変な時代であるとさえ感じています。
こうした努力・勤勉・忍耐はいつの時代も変わらずに
大切にされることであると感じています。
若く考えが固まりきる前にこそ、さまざまな経験を通して、
苦労をしたり、つらい思いをしたり、
怒られながらも一生懸命に働いて、
その中でしか学べないことがあるのではと感じました。
富山の薬売りの言葉で、
「楽すれば、
楽が邪魔して、
楽ならず。
楽せぬ楽が、
はるか楽々。」
という言葉があるそうです。
若いうちにしなかった苦労は涙に変わる。
涙しないための苦労を、若いうちから買って出ることは難しいと感じますが、
先を行く先輩の言葉には、無言の正しさがあると感じています。
深く考えすぎず、言葉を誠実に受け止めたいと感じました。
「おかげさま」の持つ力。
2011-01-04
「おかげさま」の持つ力
好きな言葉に「おかげさま」という言葉があります。
私は、この言葉が大変に素晴らしい言葉であると感じています。
お陰様という大きな力に支えていただいている気持ちになります。
自分一人の力で立つことを志した時には、
この言葉の持つ意味が理解できませんでした。
私自身、自分の足だけで立つことができるものだと考えていました。
しかしながら、起業し、つまづき、苦労を重ねる中で、
この言葉の持つ大きな力を知ることになりました。
私はひとりで生きていくことができるほどの力がありません。
誰かに支えて貰いながら、食事のために命を頂きながら生活をしています。
おかげさまで生きていることを実感しています。
人に対する感謝の気持ちはもちろんのこと、自然に対する感謝や
生命に対する感謝の気持ちなど、
「おかげさま」の言葉の中には深い意味が込められているように感じます。
昔は何か他人事のように転嫁するような意味でしか捉えられなかった
「おかげさま」ですが、今では大切な言葉として
心の中でさまざまな機会の時に反芻する言葉となりました。
今日も大変に晴れ渡った空を眺めながら、
「おかげさま」の持つ偉大な力の中で生かされていることを感じています。
お葬式が必要なんじゃない。
2010-12-31
お葬式が必要なんじゃない。
私は常々考えることがあります。
それはお葬式が必要なのではない。ということです。
お葬式の仕事をしているのですが、
お葬式なんて、誰も欲しがらないと思っています。
一番重要なことは、
大切な家族を大切におくること。であって、お葬式をしたくて
私達のホールに来るのではないということです。
目的を取り違えると、間違った方向に進むと思います。
例えば、祭壇が煌びやかで、照明が七色に光って、
後ろの背景が四季で変わって、岩の間を水が流れるようになっていて。
それって誰かが欲しがっているのかな。と思うものが
葬儀屋さんの業者カタログにはいろいろと載っています。
大切な家族をおくるときに、できる限り手を尽くしたいから、
感謝の気持ちを込めたいから、。。。で続くところに
それらがあるのであれば、必要な物だと思いますが、
正直、バブルの頃から現在までに少し趣向の変わったものが
沢山存在しています。
そうした中で、簡素だけど大切におくりたい。という希望を持つ人が
増えたのではないでしょうか。
私はそれらの傾向を供給側の問題によるものだと考えます。
供給する側が勘違いしたものを提供していると、いらない。と言われる
のだと思います。
私達の仕事には決して取り違えてはいけないことがあると思っています。
それは、お葬式が欲しいのではなくて、
大切な家族を大切におくること。がしたいということです。
向かう先を間違えることがないように、これからも努めていきたいと考えています。
プロフェッショナルの定義
2010-12-30
プロフェッショナルの定義 ~相田 みつを さんの言葉を通して~
書家の相田みつをさんの言葉で、
『プロというのは
寝ても覚めても
仕事のことを考えている。
生活すべてが仕事。
そこがアマチュアとの絶対差だ。』
(致知 1994年1月号より)
という言葉があります。
プロフェッショナルは、生活すべてが仕事である。というこの言葉の重みは
実感を通して、初めて身体に行き渡る言葉となりました。
創業当時、なかなか地域の方に受容れていただくことができず、
苦労の連続ばかりの生活を送っていました。
そうした中で、生活に仕事の境界がどんどんと浸食し、
仕事のことが頭から離れない日々が現在まで数年間続いています。
仕事が少し安定してきた中でも、そのころの習慣なのか、身についたものなのか、
息抜きといって旅行に出掛けても、どこにいても仕事のことばかりが頭を占有し、
仕事のことが頭から抜けている瞬間というものがありません。
改めて、相田みつをさんのこの言葉を目にし、思うことは、
私はプロフェッショナルというよりも、仕事が心から好きになったのだなぁ。
と感じます。
仕事のことを考えていても、退屈ではなく、むしろ楽しい時間を
過ごすことができています。
仕事が生活の中に定着し、いつまでも心の中にありますが、
幸い妻の理解もあり、現在は仕事の事ばかりを日々考えて過ごしています。
趣味が仕事である。といえるほどになったのですが、
一昔前であれば、指を指されて笑われそうな状況でもあります。
それでも、死ぬまで仕事を続けていたいと思っています。
楽しいと心から思えるようになれたことを嬉しく思っています。
生きること = 時間
2010-12-29
生きること = 時間
「生きること = 時間」 であると本を通して学んだことがあります。
生きることを時間として、捉えられるのは、
非常に生物学的で、論理的なことであると感じました。
一方で、生きることの意味に焦点を当てると、
各々の考え方であったり、その考えに至るまでのプロセスが大きく影響し、
捉え方もさまざまになるものだと思います。
そうした中で、「時間」として捉えることができる、
「生きること」は、
命が有限である、
ということと、
どう命の時間を使うのか、
というところに思いが走ります。
私は、
仕事は生き甲斐である と感じています。
できることなら、一生働いていたいと願っています。
働きながら死にたいと願っています。
そのときに、今と同じ仕事はできなくなっているかもしれませんが、
仕事の中に自分の身を置いていたいと願っています。
それは、自分がそこにいることの証明であったり、
仕事を通して社会に貢献し存在を実感することができることや、
身近なところでは、お客様から感謝の言葉をいただくことができることからです。
仕事をすることに、自分の人生の大半の時間を捧げることになると思っています。
そしてそれは、幸せなことであると感じています。
なぜなら、自分を実感しながら、過ごすことができるからです。
以前、ソフトウェアの業界で仕事をしていたことがありました。
そのときは、自分の仕事が誰のために役に立ち、
使っている人はどのような気持ちで、どのような場面で、どう使っているのか
知りたいと思っていました。
使っている人の顔が見えにくい仕事でした。
モチベーションを維持することが難しい仕事だと感じました。
昇給することや、キャリアが積まれていくことも
嬉しいことであると感じますが、やはり使っている人から、
感動したよ。とか、仕事が楽になったよ。とか、素晴らしい製品だね。と、
言っていただける仕事を最前線でしたいと感じました。
今は目の前の方に注力して、大切な家族を送るお手伝いをすることが
できることを、幸せに感じながら、仕事をしています。
私がすべきことは、目の前にこの方のために最良のお手伝いをすることだと。
分かりやすく仕事ができています。
流通が大きく変化し、さまざまな商法があるなかで、
この目の前の方を幸せにするための努力をする。という商いは
シンプルであると同時に、もっともモチベーション高く、仕事ができる
環境であると思います。
私に与えられた時間があとどのぐらいあるのか分かりませんが、
目の前にいる方を幸せにするための仕事をすることが、
私の時間の使い方であり、生きることです。
目の前には、妻がいて、家族がいて、友人達がいて、
地域で生活する人達がいます。
少なくとも、この人達をみんな幸せにしたい。
そしてできることなら、もっと多くの人を幸せにしたいと考えています。
まずはできることから、自分の身の回りの人の幸せを考えて、
私ができることを進めていきたいと思います。
臨場感と体験 ~久石 譲さんのコンサート~
2010-12-29
臨場感と体験 ~久石 譲さんのコンサート~
先日、12月27日に久石 譲さんのアジアツアーコンサートに出掛けました。
場所は、池袋の東京芸術劇場。
開演開始30分前に会場に入り、期待感と共に演奏開始を待ちました。
指揮者の背中から、その情熱を感じることができました。
演奏者の鼓動や、その場の雰囲気を久石さんの紡ぐタクトが刻んでいく情景を
ずっといつまでも見ていたい気持ちでした。
ステキな時間はあっという間に過ぎ、2時間のコンサートは一瞬のうちに
終わってしまいました。
実際のコンサートでしか、得られないものがあることを改めて実感しました。
その場の参加者の一人として、ステキな時間を共有することができました。
表現することの楽しさと素晴らしさを伝えてもらえた気がしました。
その場に参加することでしか、得られない感動が確かに存在します。
デジタル化が進む中で、つながることの素晴らしさを日々体験し、
感動していますが、2時間かけて訪れて、その移動の時間にあるワクワク感や、
終わってから、同じ時間をかけて帰る中で、余韻に浸ることができる時間も
素晴らしく感じました。
尊く、いつまでも続いて貰いたい時間というものがあります。
家族との時間という意味でも、いつまでも続いて欲しいと願います。
あまりにも普通の時間として過ぎてしまうので、
いつまでもそこにあるように感じますが、
いつまでも在り続けることはありません。
大切な家族との貴重な時間をどう過ごすのか。
有限な時間を改めて感じました。
素晴らしいコンサートに参加することができ、幸せを感じました。
素直さを磨く
2010-12-25
素直さを磨く
素直であることの難しさを感じます。
私は素直な人間ではありませんでした。
高校から卒業したばかりの頃、何も分からない状態で、
会社で働き始めましたが、
何も分からないからなのか、
学校生活しか体験したことの無かった私は、
誰かが仕事を懇切丁寧に教えてくれるものだと勝手に信じていました。
会社のルールや会社に来てからすることを教えて貰いましたが、
私は仕事が何であるか理解しないままに働いていました。
誰のための仕事なのかも意識していませんでした。
そして19歳の秋に、会社からリストラを言い渡されました。
そのときは、何が起きたのか、理解できるまでに時間がかかり、
呆然とした記憶があります。
呆然としたのは、自分がうまく働けなかったことを、
自分以外の周りのせいにしていたからかもしれません。
上手に教えてくれる人がいれば、自分はきっと、
もっとちゃんとした仕事をすることができたはずなのに。
ただ、今になって思うことは、周りの人は私に優しく仕事を教えてくれていましたし、
気を使って食事に誘ってくれたり、
朝少し早く来て、システムの設定方法を教えてくれたり、
でも、私はそれをきちんと受け止めることができていませんでした。
私の中にできあがっていたフィルタを通してしか、言葉を受け取ることも、
その気遣いを受け取ることもできていませんでした。
受け取ることができなかったのは、私が素直でなかったためだと感じています。
そして、謙虚さが足りていませんでした。
素直さとは、
・自己流を捨てること。
・己の拙い経験だけで決めないこと。
・自分の弱さと問題点を認めること。
私が尊敬するメンターの一人である「こだわり社長」こと只石社長の言葉です。
私はリストラをされてから、理由が分からず、
しばらくの間、立ち直ることができずにいました。
ただ今を迎えて、理由がはっきりと分かっています。
私はすべてにおいて、素直さが足りていませんでした。
自分のやり方にこだわり、自分の経験を頼りに決断し、弱さを認めてきませんでした。
どん底を見た思いがしました。
今は実感として、「素直であること」がいかに大切なことであるか知っています。
素直さを磨き、維持すること。
謙虚な姿勢で、学ぶことに前向きであること。
学びや気づきは、素直さから出発すること考えています。
素直さがなければ、気がつくことができないと考えています。
いつまでも素直で謙虚であれるよう、感謝をすることと、
尊敬することを続けていきたいと思います。
その感覚がいびつで、自分にフィットしていなかった時間も長くありました。
だからこそ、今自分にあった素直さの磨き方をこれから先も研鑽を続け、
より自分に近づけていきたいと考えています。
どんなに小さな声であっても、大切なこととして
掬い上げることができる経営者でありたいと強く願っています。
「吾唯足知」 吾れ唯 足るを知る
2010-12-23
「吾唯足知」吾(わ)れ唯(ただ) 足(た)るを知(し)る
京都の竜安寺に刻まれている言葉として、有名な一言です。
意味については、
--引用--
「われ ただ たるを しる」と読み、一言で言うと
「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味で
「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」と
いうことのようです。
--引用ここまで--
豊かな人生のための幸福論として、
読み解くことができるように感じます。
ないことを嘆くよりもあるものに感謝をする。
と、一言で表すにしても、受け取り方が
非常に難しい言葉であるように感じます。
私達の世代はバブル期や高度経済成長というものを実体験としては知りません。
私の友人や、同世代の仲間達と話す機会がありますが、
その中で感じることとして、燃えるような物欲といったものが
存在していないことに気がつきます。
家電の三種の神器といったものをすべての家庭で手にすることを
目指した時代や、持ち家、自前の車と言ったものを持つこと、
そうした物欲の激しい時代に暮らしたことがありません。
生命力に溢れた上の世代の方々の話を聞く機会がありますが、
良かった時代についての話を聞く際に、
あまりピンとこないことがあります。
私達の世代は満たされているところから、スタートしているのかも知れません。
だからこそ、働いて自分の手で、自分の生活を手に入れることが
苦手であったり、草食系といわれるような意欲に欠ける側面が
見られるのではないかと思います。
ただひとつ見落としてはいけないことがあると思います。
それは、なぜ満たされているかを知り、感謝をすること。
働かなくても生きていける環境がある人には、
必ず、それを支えてくれている人がいると言うことを知り、
感謝を持って接する必要があると思います。
私にとっての支えてくれている人は、
私の両親の世代、そして祖父母の世代の努力があってこその現在だと
感謝をすることであると思っています。
だからこそ、感謝をしたい。
感謝を持って、葬送に望みたいと思っています。
----
「吾唯足知」という言葉の持つ、幸福論としての側面についてですが、
人間の幸せには、生きる目的、使命感、志としての理想、
誰かの役に立っているという実感、喜びや悲しみを共有すべき家族・仲間との
時間が大きな要素として存在していると感じています。
個として、自分の足で立つことは出発点であると感じますが、
他者との関わり、社会との接点が欠かせない要素であると思います。
これから先の時代、より高齢化していくとの予想が立っていますが、
人との関わり合いがなくして、生き甲斐を見つけることは難しいと思います。
高齢者の社会参加を促すような試みが求められていると思います。
あるときテレビで、日本は、年を取る毎に幸福感が下がっていく国である。
と言われている時がありました。
年を取ることに幸せになれるような、箱ではないインフラ整備が必要だと感じました。
まとまりませんが、私にとっての幸せの出発地は、
社会の最小構成単位である家族なのだと、改めて実感しました。
まずは、その思いを家族から。実現に向けて努力したいと感じました。
人間にはみんな、1冊の本になるドラマがある
2010-12-23
人間にはみんな、1冊の本になるドラマがある
私は現在の仕事に就いてから、
一人一人の人生について、触れる機会に恵まれています。
その中でも、高齢で亡くなられる方が大勢を占めているわけですが、
傍目から見ていると分からずに通り過ぎてしまいがちですが、
お年寄りの皆さんには一人一人にかけがえのないドラマが
あることに気づかされました。
体験としては、これまでも知っているつもりでしたが、
実感として理解したのは、昨年の8月に参加した地域医療全国大会の場でした。
その中で、グリーフケアの一環として、
「聞き書き活動」というボランティア活動をおこなっている、
特別養護老人ホームがあることを知ったことがきっかけでした。
「聞き書き活動」とは、主にお年寄りの独居暮らしをされている方に対して、
ボランティアで派遣されたスタッフが、その方の主に若い頃の話を聞き、
その人独自の自分史を作成していく活動だということでした。
仮に認知症を患っている人でさえ、若い頃の記憶はしっかりしているという
ケースが大変に多いそうです。
むしろ、そういう方ほど、若い頃の記憶を鮮明に覚えているのか、
非常に詳しく、そのときの情景までを描写されて、お話をしてくださるとのことでした。
自分自身の体験に重ね合わせてみても、
本当に激動の明治、大正、昭和、平成と生きてこられたお年寄りの方というのは、
その目まぐるしく変わる時代に対して、
それぞれの方の状況において、たくさんのドラマを経験してこられたのだなぁ、
と、感じさせられる場面がたくさんありました。
立ち返り、自分にできることを見つめ直した時に、
それぞれの人生のドラマの最期のときを、どうやって表現し、共有することが
できるのか、を一生懸命に取り組んできました。
私は脚色をすることを好みませんが、
あるがままを、そのままに共有するだけでも、大変に深い物語がそこにあることに
気づかされました。
あるがままの、そのままをその方の家族に思い出していただきながら、
時間を過ごすことが何より、大切なことだと感じています。
グリーフケアというと、少し堅苦しく、意味を理解することが難しいですが、
大切な方の生きた時間を、受け止め、思い出し、家族と共に語り合うことが
もっとも効果的なグリーフケアであると感じています。
自分のルーツを再発見し、家族と共有することで、
より一層、家族の結びつきが強まるのだと思います。
現在、私達の会社で取り組む、
年表作成活動は、そうした家族の観点から見るグリーフケアを
実現するための活動です。
大変な活動であることに変わりはありませんが、これからも継続すべく、
取り組んでいきたいと考えています。
「みつわ」に込めた創業者の想い
2010-12-21
「みつわ」に込めた創業者の想い
私は「メモリアルホールみつわ」という屋号をホールに付け、
現在の仕事を始めました。
みつわは、もともとは「3つ輪」と「3つ和」を掛けたものから始まっています。
「3つ輪」については、
家族、友人、地域の接点となるようなホールとしたいと名付けました。
私達が提供しているものは、お葬式という形ではなく、
「大切な方を、愛情と感謝の気持ちを込めて、お送りする手伝い」であると
考えています。
お葬式がしたくて、私達のホールを利用するのではなく、
大切に送りたいから、ホールに来る。ことが正確な表現だと思っています。
お葬式がしたい人なんて存在しないのだと思います。
できれば、私も自分の家族のお葬式はしたくありませんし、
すべての人が同様であると思います。
家族を失うことほど、悲しいことはないと思います。
だからこそ、家族、友人、地域の接点として相応しいホールとなることを
目指すことが私達の目的です。
「3つ和」については、
共同設立者である、私と私の兄の二人、そしてそこに「もう一人分の余地」を残して、
3方の和を持って、仕事を行うことを約束し、名付けました。
ストーリーには、余地が必要であると私は考えています。
企業はともすれば、独善に陥ることがあると考えています。
独り善がりな運営や方針は必ず、破綻を来すと思います。
そうした中で、常に自分達の常識と、もう一人分の余地としての余白があることで、
独善ではなく、私達のお客様となる方の望むものを提供できるよう、
心がけてきました。
利益追求は必要条件ですが、
まず第一にお客様の必要とする物を提供しようと約束するために、
3つ和としました。
みつわのもうひとつのわは、私達のホールを利用してくれるお客様自身です。
私はそれぞれの理念を実現することができると信じています。
強く願い、行動を行い、反省をしてきたことは、
必ず現実化すると信じています。
現実化するためには、想像することがスタートで、
想像することができないことは、
実現ができないと感じています。
だからこそ、沢山の本を読んだり、多くの人と話をしたり、
接することで自分の見識を拡げたり、学ぶことがいつまでも重要なのだと思います。
想像することができるところまで、
自分の領域を拡げることで、情熱を持って取り組めば、
それを提供できるようになるのではと考えています。
これからも、強く願い、行動し、反省し、少しずつでも
前に進めていければと思っています。
頑張ります。
「アンパンマンのマーチ」に見る生き方のヒント
2010-12-21
「アンパンマンのマーチ」に見る生き方のヒント
皆さんは、アンパンマンマーチというものはご存じでしょうか。
アニメ「アンパンマン」の中に出てくるテーマ曲のことですが、
改めてアンパンマンマーチを大人になってから、聞く機会を得て、
兄の子供と一緒に見ていた時の話です。
普段何気なく聞いていた歌詞の中に、
驚くべきテーマ性と、メッセージ性を秘めていることを知りました。
ここにその体験を共有すべく、
歌詞を転載させていただきたいと思います。
--
アンパンマンマーチ
作詞:やなせたかし
作曲:三木たかし
編曲:大谷和夫
--
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため
--
--
なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも
そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため
時は はやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため
--
実際のアニメの中では、2番の歌詞が使われているそうですが、
歌詞を調べてみたところ、1番が存在しているそうです。
子供向け番組の中のテーマソングにしては、
深い言葉の意味が込められているものだと感じました。
作詞をおこなった「やなせたかし」氏は、
この歌詞の中で、特攻隊としてフィリピンで戦死した弟さんのことを思い、
アンパンマンのマーチに重ね合わせたと言われているそうです。
生きる意味を、喜びの意味を知ることを子供たちに伝わる言葉で、
リズミカルな歌で、込めた思いを考えると、
改めて作詞者の思慮深さを感じます。
弟さんの生涯は、22歳の若さで特攻により幕を閉じてしまったということですが、
こうした歌の中で現在も、その姿が残されていることを思うと、
兄弟の哀惜の念が今も息づいていることを感じます。
歌の持つ力の大きさを改めて知りました。
「あとから来る者のために」
2010-12-20
「あとから来る者のために」 ~坂村真民氏の言葉より~
このたび感銘を受ける詩と出会いました。
作者は詩人の坂村真民氏です。
タイトルは「あとから来るもののために」。ずっしりとした重みを感じる詩です。
『 あとから来る者のために
田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来るの者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ 』
この詩にある心を汲み取ることは容易ではないと感じました。
現在私が暮らしている小海町を始めとする南佐久地域では、
70~80歳代の方々が元気に前線で働いたり、地域社会の中心要員として
現役で活動しています。
私の祖父母も一昨年、80歳を過ぎましたが、
まだまだ現役で自分の身の回りのことを自分たちでしています。
父方の祖母については今年100歳を迎えましたが、
100歳になった今も尚、自分のことを自分でする。という強い意志を持っています。
父が亡くなってから、年に数回しか会うことも無くなってしまいましたが、
今年会いに行った際にも、私のことを縁側に見つけると、
御茶を飲んでいきなさいと、100歳のおばあちゃんが一生懸命おもてなしを
してくれようとしています。
私としても、いいよ、おばあちゃん。お手伝いするから、そこに座ってな。と
声をかけるのですが、逆に私が気を使っていることを悟り、
申し訳なさそうにしています。
本当に頭が下がる思いです。
孫が顔を見せに来てくれることを、ありがたいと言い、
この年まで生きているからみんなに迷惑をかけてしまってと、
申し訳なさそうに言っている姿が、心に深く残ります。
謙虚であり、周りへの感謝の気持ちが伝わってきます。
今、私が安定した世の中で生活をすることができる、
その礎を築いてきた年代の方々への感謝の気持ちを改めて思い返しました。
年の重ね方は人によりさまざまですが、
身近に手本にすべき人がいることに感謝をしたいと感じました。
できることなら、私の子供にもおばあちゃんとの話を通して、
その心を感じ取って貰いたいと思いました。
ある少女の延命拒否について
2010-12-19
ある少女の延命拒否について ~Quality of Lifeを考える~
ある記事を読みまして、大変に考えさせられることがありました。
< http://news.livedoor.com/article/detail/5210080/?p=1 >(岡田 克敏氏ブログより)
死期の迫った人に対して、本人の意思表明に対して、
家族や周囲にいる人達がいかにそれと向き合っていったのか、
非常に考えさせられました。
チューブや機器に繋がれ、生きていると言うよりも、
「生かされている」状況にある患者さんを見ている医者と
その家族の感じる悲壮感が伝わってきました。
生きることも死ぬことも、自分で選択することは難しいものだと思います。
自分の意志で生まれてくることができない。
これは、明白だと思います。
それでは、死ぬことも自分で選択することができないのか。
これについては、異論がある部分だと思います。
自死。することも選択することができる中で、
死は自分の選択可能なものであると感じるところでもあります。
しかしながら、私個人の経験の上で考えるに、
死は自由ではないと感じています。
自分の死期を感じ、自分最後の日までの計画と、
その後に残される家族為に、さまざまな形で文章を残したり、
困らないように財産の分与を記したり、
自分の死後に家族の元に届くよう、手紙を書いたり。
人によっては用意周到に、エンディング計画を立てる方もいます。
その一方で、生前中に意思表明ができない状態になってしまったり、
身体が不自由になってしまったり、
事故に見舞われてしまったりと、
突然日常が奪われてしまうケースもあります。
また、元気健康でいるうちは、
死は日常とかけ離れて、
自分と関係のないところにあるものだと、
考えてしまいがちです。
死がすぐ隣にあるものだと、
数百年前の日本では考えられていたのかも知れませんが、
今日では非日常以外の何者でもないように感じます。
流行病も高齢でない限り、治る見込みがあったり、
人口の臓器によって、延命することができたり、
生きていくことができる環境があると思います。
もちろん、例外があることは承知しています。
延命については、予てから考えさせられてきたことでもありました。
私の父が病床に伏している時に、
いくら掛かってもかまわないから、一日でも長く生きて貰いたい。
家族として、そう考えていました。
実際、医療費の負担は想像を絶するほどになり、
その後の家族の生活も困窮したこともありました。
でも延命の選択に後悔をすることはありませんでした。
手を尽くすことができたのではないか、と感じたからです。
父に死期が迫り、本人は意識不明になってから3ヶ月ほどで他界しました。
ただ、今を迎えて考えることは、
その後、数年間に渡って脳死のような状態が続いた時に、
私達はなんらかの決断を迫られたのではということです。
家族には下すことができない決断が確かに存在すると思います。
ただ、今は医者に方々の方に、家族が下すことのできない決断を
抱えさせてしまっている状況があることが懸念されます。
もちろん、インフォームドコンセントに従って、
あるがままに相談しているとも思いますが、
あるがままに相談しても、家族には決断することのできない一線があると思います。
法整備に任せる。といえば、それだけのことになって、
思考停止に陥ってしまいそうですが、
なんらかのガイドラインがなければ、その悩みからは
いつまでも解放されることがないように思います。
これから先の10年、20年は今以上に、
延命について考えていくべき時期になるものと思います。
楽な仕事なんてどこにもないとも思いますが、
楽でない決断が個人の方に掛かるようにはして欲しくないと思っています。
まとまりませんが、雑感を記しました。
死期について
2010-12-19
死期について ~悲しみとの向き合い方を考える~
葬儀社をしていて、日頃から考えることがあります。
それは、命の長さ。死期についてです。
若くても、ある日突然の死を迎えることがあります。
それは交通事故であったり、災害に見舞われるなど、
さまざまな形の不運が重なって、若くして亡くなってしまうことがあります。
私の父は、私が14の時に亡くなりました。
それ自体を不幸なことだと、幼い頃、大人達から言われました。
かわいそうにと言われました。
父は44でした。
実際に、私が関わったお葬式でも、若くして亡くなる方がいます。
私自身もかわいそうなことだと考えました。
お葬式が終わってからのこれからの家族のことが心配になることがあります。
ただ、今を迎えて思うことがあります。
私は不幸であったが、幸せを感じていたと。
父が亡くなった時の喪失感といえば、例えることが難しいぐらい、
自分の身を意識あるままに引き剥がされるような、強い悲しみに襲われました。
悲しくて仕方ありませんでした。
笑顔で会話をしていたときのことを思い出すと、今でも涙が溢れてきます。
当時の私は、自分のことで頭がいっぱいであった反面、
母のことが心配でなりませんでした。
だからこそ、家族で力を合わせていこうと、暗黙の了解の中で
今日まで頑張って来れたような気がしています。
先日、10月13日にもう一人の父が亡くなりました。
私の妻の父親です。
突然の別れでした。
最後に交わした言葉を思い出すのですが、
何のことのない日常の会話を交わしたことを思い出すぐらいでした。
悲しみが私の元にやってくるまでに少しの時間を必要としました。
現実感が無かったために、最初は目の前で寝ている父が
起き上がってくるのではないかと思われました。
火葬されてしまった後には、より空虚な、現実感のないお葬式がありました。
現在を迎えて、亡くなってしまったことの実感が手元にあります。
ただ、受容れているかと言えば、まだまだ時間を必要としていると思います。
「喪」といわれる期間にいるのだなぁと、現実としての自分が置かれている
状況を理解しています。
帰る度に一緒にお酒を飲み交わしたことを思い出します。
結婚した当初は、妻のおじいちゃんと、父と共にお酒を飲みました。
緊張していた私に、自分の家だと思って寛いでいきなさいと、
声をかけてくれました。
以来、帰る度に顔を合わせて、夕食の時には一緒にお酒を頂いていました。
楽しい時間でした。
私自身、自分の父親とお酒を飲む機会が無かったので、
こういう時間は大切だなぁ。と感じていました。
突然やってくる悲しみとどう向き合ったらいいのだろうと、
自分自身の体験を元にして、活かしていきたいとは考えつつも、
自分自身ですら、どう向き合っているのか、
正直よく分かっていない状況でもあります。
私は、お葬式に脚色をすることをいいことだとは考えていません。
その人が生きてきた道「そのまま」を、来てくれる人と共感したいと考えています。
関係のあった人や友人と、その人の話を自然にできる日がお葬式の日なのだと、
思っています。
悲しみを増幅する必要はありませんが、経験上、
涙を流すことが必要だと考えています。
自然な涙が必要だと思っています。
悲しくて、悲しくて、いられないような悲しみではなくて、
楽しかった時期を思い出しながら、笑顔になりながら、
自然と涙が流れてくるような時間が必要だと思っています。
私自身が癒されていくまでに、まだまだ時間が掛かるものと思います。
人一人亡くなることの意味を考えると、
カンタンに癒されるものではないのだなぁ、と感じます。
ゆっくりと時間と共に、日常生活を取り戻せるまでに、
自分と向き合いながら、家族と向き合いながら、
仕事を続けていくなかで、日常生活に戻れるようにしたいと思っています。


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